語り部の<僕>は、解放のリベラシオン。
宝石箱-écrin-の準貴石ラブラドライト。魂の解放、月と太陽の神秘を司る。
めぐる御喋りと知識をもてあまし、微睡みは猫のよう。自由気ままな蒼き幻想。
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其の生前は、天才錬金術師であり貴族領主。
いびつな桎梏の回帰。果てに倒錯した煌めきこそカタルシス。
自己制約。自己犠牲。自己束縛。全球が誇る代償は、共鳴無き孤独だった。
――今、君の手記を読み終えたよ。よくもまぁ、数十年ぶんも溜めていたものだ。
あはは、おかげで退屈せずにすんだ! ほらごらん、君があんまりにも目を覚まさないものだから、
待ちくたびれた美しい女はどこかへ消えてしまった。
……そうだ! 静かなのは性に合わない。折角だから思い出話に花を咲かせてもいいかい。
僕がまだ生きていた頃。そして君と出会って、死後、一緒に旅をした日々を。
……、返事がない。うん、そうか、肯定してくれるということだな! では遠慮なく!
生前、一国の領主だった頃。僕は、夜も日も明けず、神聖でいようと必死だった。
思考は常に螺旋のごとく舞い巡る。秀逸な記憶力も良かれ悪しかれ。
理解が過ぎ、先が知りたくてたまらず、導き出した答えにまた耽る。五感に加えて鋭敏なパラレルワールド。
人には見えないものに見とれ、聞こえない気配にくらくらした。惜しむらくは、うら寂しさだ。
こんなにも感じているのに在るがまま伝えられず、情緒をみなしごにしてしまう。
そんな人間に、夢を見ない者はいなかった。
全球の期待は更なる憧憬を求める。繁栄のため死んではならない。
国、歴史、民の幸福、誇り。自己制約、自己犠牲、自己束縛。侵蝕に差し出す身体はまさに人身御供。
生きとし逝ける永遠の行方を、僕を通じて知りたいのだろ。熱に浮かされたように。
領主としての人となりと本来の僕という同質であり異質なその乖離が、無意識に猟奇嗜好へと興味を示した。やみがたい悪癖。余所事の悲劇を鑑賞する事で心を浄化するカタルシス。
画面越しで得る倒錯療法が、抑圧されていた心の闇を解放し、快楽は灯される。
中でも僕は、強く美しいひとりの少年をくらやみ舞台の英雄とした。そう、君だ。
『生の対極』とは如何なるものなのか。それはきっと冒涜的で儚い澱なのだと。
無論、胸を切り裂かれるわけにはいかないから、だから強請った。
怖れ。憐れみ。浄められた夜。
内緒だよ。お願いがあるんだ。城の誰にも言えない。君で知りたい。
「シぬとこ見てて、くれたまえ」
こんなはしたないこと、
するりと、死の指先で絡めとる感触が頸動脈に食い込んだ。
塞がれた酸素が脳に回らず強制に頬は紅潮する。
軋む音が水の中のように遠く聞こえ、視界は濡れて像を結ばない。
「領主さん、――上手、うまァい、です」
……え? 何が? あ、死にざまが?
君はスペシャリストだからな。どうかと聞いてくる余裕は流石だよ。ごっこ遊びも上手くて当然。
「ぁ、ょ、よく、は、なぃな、ぁ」
か弱く途切れに感想を述べると、冷ややかな表情から一変、
微笑んで「貴方、出会った貴族の中でいちばんマシ」と両手を離した。
滑り込む酸素に咽る。思っていたのと違う。
弱肉に命を握られているというイミテーション。なのに背徳情緒を感じない。
唾液が滴りそうで品格に欠ける。こんなのは美しくない。
僕は死の描写にあっさり熱意を喪失した。
――あっ。でもその後あっさり毒死したわけだが!
あれは苦しかった~。まちがいなくもっと酷い顔してた。恥ずかしいから見てない! あっはっは!
興ざめしたのち、夜通し天文室で宇宙について話した方がよほど楽しかった。
衛星、惑星、月と太陽。そして恒星の最期を模したプラネタリウム。
超新星爆発、白色矮星。どんな輝きもやがては滅び、そして巡る。
現象過程は分からずとも、君は目を輝かせていたな。
知らぬことに胸をときめかせる感覚は、僕にも痛いほどわかる。
君に贈ったペンダントに憑依して、死後体験した、人としての二十四年間で一度も見たことの無かった世界。
動物は僕が見えるようだが、とりわけ意思疎通が上手くいくと触れることが叶った。
植物や物質なども同様に。
生まれて初めて見たピザに「そこはかとなく汚い」と呟いたら「世間知らず」と返された。
コインランドリーは君の癒し。モノレール、スーパーマーケット。庶民の忙しなさに驚いた。
安酒、古ぼけたバスルーム、型崩れのベッド、歪んだドア……解釈次第ではヴィンテージかもしれないな。
テーマパークで売っていた丸めた紙のような菓子は不思議な匂い。チープな味とメロディーにはしゃぐ幼子。
――ふと、遺してしまった家族のことが気になった。……いや、本当はずっと心残りだった。
ひとつ思えば次から次へと思慕が募ってどうしようもない悲嘆に駆られるから、
無理やりに押し込めていたと言った方が正しい。この世に生を受けた瞬間から決められていた政略結婚でも、妻と子どもたちには能う限りの愛情を注いだと自負していた。
成長を見たかった、そのことをぽつりと零したら、
次の日、適当に理由をつけて、僕が治めていた国へ行きたいと旅の同伴者に申し出てくれたね。
どうにかして貴賓謁見の間に入れないかと問うたのには思わず笑ってしまったけれど、
興味が無いものだと思っていたから、気遣いが嬉しかった。
知っていたかい。君の言葉に呆れていた男は、僕のことを認識していたのだよ。
二人きりの時、たまに声を掛けられることがあった。
「姿は見えねえし誰だか知らねえが、いつもありがとな」と。
意外にも鋭い。それとも、秘かに銃を直していたのに気づいた?
どちらにせよ復讐なんて言うからどんな野蛮な男かと思えば、君が懐くのも頷けた。
彼は、……っはは。
彼はおかしなことに、僕を天使か何かと勘違いしていたようだ。色々な話を聞かせてくれた。
憎しみの心も慈悲で鎮めたんじゃない。そうしないと前に進めなかったと……晩年、零していたよ。
独りでは区切ることもできなかった筈だと言っていた。
……人とは、儚い。
本当の心情は善も悪も人前で中々言えないけれど、今生の別れという制限があることで、
心を解放できる。……、君もそうだろう。これを、残すということは。
手記の最後に挟まっていた封筒。錬金術を施したペンで書かれた古代文字の刻印は、
少なくとも一般人には解除不可能で、解読できない。僕宛だ。
中には一枚の手紙が入っていた。
付言するよ。
実はあの日、ペンダントを売り飛ばすか壊してやろうかと考えていた。覚えているだろ?
口達者で、赦すことも愛だとかいう、その堂々とした余裕が殺したいほど癇に障ってね。
でも、君は唯一無二の喋る図書館。知識は掛け替えのない富であり、一番の強さ。
幾つも術を持っていなかった私は、惨めさと悔しさを必死に堪えて思いとどまった。
理屈では、分かっていたよ。
お互いに若かった。それだけだ。
あの日――、勿論覚えている。
宿泊先でのテレヴィジオンから、慈善活動についての議題がなされていた時。
『命は平等』『話せば分かる』『この世に本当の悪人はいない』『弱さは優しさ』『手を取りあおう』
『花で満たせば心は安らぐ』『憎しみのない世界へ』『金より愛』……
なんとも耳障りの良い言葉たちが絵に添えられて流れていた。
「よく言う」
さもあらんと諭しあう人間たちが多弁を重ねるのと、君がソファーから勢いよく起き上がるのは同時だった。
「頭、お花畑とかですか。安っぽい。窒息したプログラム。聖なる祈りはペラッペラ。
憎いと思うのだって自由でしょ。当事者でもないのに。
手なんて相手が受け取らなければ意味もない。花じゃ満腹になんてならない」
スクリーンを睨め付け、君は音を遮断した。騒がしいあとには漆黒の箱。
ぞんざいに放り投げられた粗悪なリモートコントローラーが宙を舞い、一呼吸おいて、続ける。
「人は外も内も嘘だらけ。優しさも言葉も、そのまま摘むと馬鹿をみた。綺麗に咲くほど馬鹿をみた。
恵まれた環境から与えられる無責任で甘い妄想は、時に残酷で、ぬる過ぎる。
誰かの救いも綺麗ごとも良いけれど、信じられるのは自分です」
……厭世主義者か? 僕は問うた。
「君も、人知れず路上の子どもたちに食料品や金銭を施したり絵本を与えているが、それと何が違うんだい。
痩せ細った女や、老婆からも萎れた花を買っている。現にそこに飾って在るが、別段嗜好ではないだろう?
華美さで言うのならエディブルフラワーの方がよほど。げに心を癒し満たすのは、愛と平和と美しさ!
身売りなんて低俗なことはもう止めたまえ。そうまでして金が必要か?
それに復讐など考える暇があるのなら、もっと高尚に物事を見るべきだ。この僕が助力してやる。
己が幸せになることで最高の
そこまで言って、勢いよくフルーツナイフが飛んできた。
「間違えました。それ以上言うと軽蔑しますよ」
……軽蔑。ああ、そうだろうとも。何も間違ってはいない。君の反応は正しい。
選択肢を有していたからこその己の無知を今は理解している。立場が違えば見方も変わる。
あの時、憎しみの刃はこの透明な身体をすり抜けたけれど、若い心の、後にも先にも君の一番やわくてもろい部分を僕は、価値観の対極という浅はかな槍で容赦なく貫いたのだ。
安全棺からの傲慢。慚愧に堪えない。
十日ほど鞄の奥底にペンダントを押し込まれ窮屈な思いをしたが、それも振り返れば寛容な処罰だった。
次に顔を合わせた時の第一声は「生きてたのか。あぁ、いや、死んでたか」
……ははは、本当に破壊されなくて良かった。深く感謝している。
符牒で書かれた続きを読む。
――リベラシオン。貴方だけに伝える。私の最大の嘘を。
墓まで持っていく予定でしたが、真情の発露も解放だと言うのなら。
聞いてくれますか。
本当は、すべて覚えているんですよ。何もかも。
雄大な山々と渓谷。光る桟橋。私は、氷河が広がる湖畔の町で生まれた。
湖はラブラドライトの蒼色にどこか似ていました。
買われていた場所では、商品部屋の見張りでした。
女、子どもが逃げる訳じゃない。媚を売って連れ出そうとする輩から皆を守るため。
一番怖いのは道理を知らない素人です。私が処理させられていました。
貴方が見たというスナッフフィルムもそう。
あれこれ考える暇はない。護身のため、時に気狂いも装った。
切り裂く感触。犯される屈辱。心も身体も強くないと、死ぬ。
貴方と出会う少し前、駅でとある家族を見たんです。
優しそうなお母さんに手を繋がれた幼い子ども。いいなぁって、はじめて、自分と他人を比べた。
涙なんて涸れたと思っていたのに、いつのまにか、いい大人が声をあげて泣いていました。
そんな私に優しく声をかけてくれたのは、お母さんでもお父さんでもなくて、
悲痛な泣き顔に加虐心をそそられたという下衆な野郎。
一気に冷えました。なんで……なんでいつもこう。穢れたこの手を繋ぐのは、鎖と烙印だけなんだろうと。
新しい男を選んで自分を売り捨てた女が付けたであろう、本当の名が心を縛った。
天使のキスと比喩されるそばかすは、太陽から愛されたしるし。
記憶の母に瓜二つのこの顔が、愛され恵まれているというのなら、私は、普通の生活と交換して欲しかった。
無知ほど弱くて愚かで悲しくて、悔しくて、惨めで……虚しいものはない。
だから、貴方から惜しげもなく貰い受けた知識すべて、まさに煌めく宝石でした。
リベラ。
怯えなくていい。いつかは皆、必ず死にます。
どんな輝きもやがては滅び、巡るんだって。そう教えてくれたじゃないですか。
長くなりましたけど、私からの、最後の見返りです。
『未来永劫、眩暈がするほど自由で朗らかにあるよう』
心から祈っておいてあげますよ。しかたないんで。
今まで、本当にありがとう。
…………言葉もない。飄々とした態度の裏、ひた隠しにしてきた弱き真実。
所々拙い口調で書かれたそれは、当時の気持ちのまま、綴られたのだろう。
生きる瞳は夜に堕ちない。絶望が立ち込める漆黒の箱越しでも白く光っていた存在。
星の最期ではない。宝石でもない。幾久しく、過保護に輝く意志。
手記の軌跡は生きた証でもある。孤児院、大学、旅で出会った仲間たち……、
本当に語り尽くせないことでいっぱいだ。
時代は回転し、めくるめく銀幕。
今この世に生きているすべてが風化したとしても、永遠に記憶の中で読み返す。
いつのまにか現れて神妙な面持ちでいた同属が、ふと胸元に挿していた花を手渡してきた。
守り慈しみ学んだ掌に、透明と感謝のはなむけを、そっと重ねる。
君へ。っふ、ピンクのガーベラなんてまるで少女のようだが許してくれ。
腹の足しにもならないだろうけれど、気持ちだけでも受け取ってくれるかい。
じゃないと、美しい女が拗ねてしまう。勉強中は僕と話してばかりで相手にしてくれないと言って……、
おっと、これ以上は怒られるかな、あはは。…………。
いつかはこの日が来ると分かっていたけれど、やはり、寂しいものだな。
――なあ。ハロルド。
状況を見定めて、顔色一つ変えずに嘘を付く奴だったよ、君は。
けれど、本心には嘘を付かない。前を見据え、言い訳をしない。
その強さに、僕はくどいほど憧れていた。
……人生は、楽しかったかい?
もっと話がしたかった。……また、いろんなところへ遊びに行こう。…………、
ぁ、
花ごと手を握り返してくるかすかな生の指先。懐かしい感触に喉が詰まる。
「……ッ、こちらこそ、ありがとう――、また……っまた! 会おうっ……ハル!」
いつの間にか深い夜は明け、生まれたての朝日が全球を照らす。
徐々に冷え逝く太陽にすがり、涙がとめどなくあふれ、こぼれた月は解放に帰結した。
百年にも満たない自由の煌めき。満天の星空。
今、はじめての鼓動に、震えている。
――ああ、ああ! 僕も本当に楽しかった! 心から!
FIN
【 付言 】
・「カタルシス」は心理学/哲学/演劇学用語の意の儘。
・---。
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